乳がん手術から10年 [乳がん]
10年前の今ごろ、術後の痛みに耐えていたこと、腕が動かなかったこと。
手術の翌日、病室に来た1歳のゆうのすけが、
ただならぬ様子の私になかなか近づかず、遠巻きに様子を伺っていたこと。
今でも鮮明に思い出せます。
1歳だったゆうのすけが11歳になり。
あっという間の10年なのか。やっとの10年なのか。
色んなことがぎゅーっと詰まった10年間。
ゆうのすけには自分が生きている間に
早く大きくなってもらいたいと思う反面、
大きくなって手がかからなくなっていくことを寂しく感じたり。
幼稚園の入園、卒園、小学校入学、そして来春の卒業と、
節目節目が来るたびに、その場に立ち合えたことを感謝する。
11年のゆうのすけの人生の10年間は治療をしているお母さん。
ゆうのすけには病気のことは伝えません。
元気だからいいと思っています。
現在、継続してタスオミンを服用。
血液検査を年に4回、マンモ&胸部X線を年に1~2回。
MRIとPETを年に1回。
タスオミンの長期服用による発病リスクが上がると言われている
子宮体がん、子宮頸がんの検査も欠かさず受けています。
これを受けていることで不要な不安から解放されています。
書きたいことは沢山ありますが、まとまらなくなってきたので・・・。
家族に、友達に、関わって下さっている方々に、
10年を迎えることができたことへの感謝とお礼の気持ちを胸に
またさらなる10年を頑張ります。
子供に病気を伝えることの難しさ [乳がん]
お母さんと同じ病気の人はたくさんいるよ。
みんな元気になるために頑張ってるんだよ。
それに、お母さんはいつも元気でしょ?”と聞くと、
、
乳がん手術から6年 [乳がん]
7月12日。
負けないように頑張ります。
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<術後6年の治療>
ゾラデックス丸5年打って終了。
年に1回のPET-CTとMRI検査。
2か月に1回の採血にて腫瘍マーカーを調べる。
ゾラデックスが終了してホルモンのバランスの関係なのか、
ちょこちょこ不調な点があるけれど、
元気に過ごしています。
術側の腕がリンパ浮腫にならないように、
毎日の生活に気をつけています。
乳がん手術から5年・・生き抜いています。 [乳がん]
現在の治療は、
毎日タスオミンを1錠飲む。週1回ベネット錠を飲む。
月1回のゾラデックス。2か月おきの採血。
半年に1度のマンモと胸部X線。
そして10か月~1年の間にMRIとPET。
まだまだホルモン治療を続けるであろうこと、
右腕がリンパ浮腫にならないように日々の生活に気をつけること。など、
多少の不便はあるけれど、
母として妻として、普通に生きていけることをとても幸せに感じています。
まだ歩けない1歳の悠ノ助を目の前にして、
自分の病気のせいで生活を一変させてしまったことに、
申し訳ないとか不憫な子にしてしまったとか、
Dannyさんにも家族にも罪悪感しかありませんでした。
力強く支えてくれた家族。普段と変わりなく接してくれた友人。
そして、いつも私のそばにいて、
小さな体から大きなパワーを与えてくれた悠ノ助。
全てが私の元気の源になりました。
家族が幸せでいられるように、私は生かされているのだということ。
時々、我儘な自分に気づき、
おっーっといけない、いけない。と初心に戻そうとしたり。
欲張りになっている自分を戒めようと思ったり。
まだまだ色々と人間勉強が必要な私です。
新しい人生をもらって5年。
普通であることを普通のことと思うことなく、
いつもありがとう。
これからも、どうぞよろしくお願いします。
- 2012年7月 Manny -
乳がん術後4年 [乳がん]
4年前の今日、7月12日は右側の乳房を切除した日。
片胸での生活も4年。
夏になると薄着になって、着るものについてはいつも考える。
首回りのあいてないものとか、体に密着しないものとか。
悠ノ助とプールや海で遊びたいので、
手持ちの水着に悪戦苦闘しながらパットをたくさん縫いつけてみたり・・
(水の中に入ると浮いてしまって、残念なことになることもしばしば)
お風呂に入る時以外は胸のことは忘れてる。
もう見慣れてしまったけど、見るとやっぱり色々と思い出す。
4年前の今日は、色んな人に心配と迷惑をかけて、
私も周りもものすごく大変だったけど、
4年経った今日は、
ヨガに行って、買い物して、悠ノ助の習い事に行って、家族3人で楽しく過ごす。
悠ノ助の母としてDannyさんの妻として、両親の娘として、嫁として・・・、
日常の生活を送れている。
乳がんにならなかったら、
日常の生活をすることは当たり前で、
ありがたいとかすごいことだとか何とも思ってなかったのかな。
どうなんだろう。
今の自分があることをありがたいと感じていたかと思えば、
自分の気分で悠ノ助を怒ってしまったり、
Dannyさんに八つ当たりしたり。
あれもこれも欲しいと思ってみたり。
人を羨ましく思ったり。
まだまだ私には修行が必要。
いま受けている治療はホルモン療法。
月に一度のゾラデックス注射。
こちらは術前から打ち始め、2年が標準と言われている中、
自分の希望で5年打つことにした。あと1年で終わり。
毎朝一粒飲む、タスオミン。
これは術後の化学療法が終わってから飲み始めたので、
4年飲んでいる。
そして、ホルモン療法により骨粗鬆症になりつつあるので、
予防薬としてベネット錠を週に一粒。
術後の検査として、
2か月に1度の採血。
半年に1度の胸部X線とマンモグラフィ。
8か月~10カ月に1度のMRIとPET-CT、と時々肝エコー。
1年に1度の婦人科検査。
悠ノ助に乳がんを伝えるべきか。
言う必要ないかなと思う時もあったけど、
お風呂に入って私の胸を見ている悠ノ助は、
いったいどう思ってるんだろうな・・・。
まだ何も思ってないかな・・・。
どうしたらいいのかな。
ゆっくり考えよう。
いまは悠ノ助の母でいられるよう、頑張るのみ!
Pinkリボン会 [乳がん]
今日は病院友達とPinkリボン会。
しっかり一年ぶりだったけど、
そんなに日が経っていた気がしません。
病気やそれにまつわる色々なこと。
いつも思っていることや考えていること。
そういったことを考えてるのは
私だけじゃなかった。と分かったり。。
もちろんすぐに解決できるような話ではないし、
普通に考えたら相当暗い話を、
今日は笑いながら話せてしまい、
かなり気持ちが軽く晴れて帰ってきました。
もっともっと話したかったー。
また次回のお楽しみに。
秋になる前にそれぞれ大きな検査を控えてるけど、
みんなクリアできるはず!
そう思って、免疫上げていきましょう。
今日はありがとう。
乳がん告知から3年 [乳がん]
2007年3月に乳がんの告知を受けてから、3年が経ちました。
現在の私はとっても元気です!
3年前の私には、どうしようもない絶望感しかありませんでした。
どうして私なのか。
どうして今?始まったばかりの家族3人、もしかしたら4人?5人?の生活をもっと味わせてくれてからじゃだめなのかと。
優しいDannyさんと結婚し、かわいい悠ノ助が産まれ、私にはこれ以上ない幸せがあって、それがずっと続くことが当たり前だと思っていました。普通の生活を送れることが当然のことと思っていました。
今日までの3年間の日々はこのブログにも綴ってきましたが、治療と育児の日々でした。
一番甘えたい盛りの悠ノ助を、抗がん剤で気分が悪かったり、術後体が痛くて十分に抱っこ出来なかった。私が元気だったらもっと色んな事をさせてあげられたのに。という思いは今でも私の中にあります。
Dannyさんや悠ノ助を始め、家族や友人たちに支えていただて生きてこれた3年間です。
そして、今は幼稚園児の母として、毎日フル回転で過ごしています。再発や転移に対する不安は常にありますが、病気であることは忘れている日もあります。
いま私に出来ることは、飲むべき薬を飲み、受けるべき検査を受ける。
そして、自分の免疫力を下げないよう心がける。
例えば・・・
夜早く寝る。
酸化してそうと思うものは食べない。
抗がん作用のある食べ物を摂る。
お風呂にゆっくり浸かって体温を上げる。
ストレスを溜めない(これは難しい・・)。
自分がいいと思うことはやってみる。
病気が治った自分をイメージする。
など。
一度は死が見えた人生ですから、怖いものはありません。
前進あるのみ。
焦ることなく、悔いることない、私の周りにいてくれる人たちがいつも幸せであるように。
あしたもあさっても、悠ノ助を乗せてママチャリ走らせます。